丹後ウルトラマラソン 当日

kaimizu2005-09-18

<スタート前>
さてマラソン当日。午前2時過ぎに起床。朝食をとって宿を3時半過ぎに出発。宿が車で送ってくれるのだけれど、歩いても15分で着くし、早く着きすぎてもやることもなかろう、ということで同部屋の3人でのんびりと歩いて行きました。
ちょうど中秋の名月の晩だったのか、月がとっても明るくてまあるくて忘れられないほど美しかった!

<トラブル発生!>
スタート会場のアミティ丹後内の体育館で荷物を預けて準備万端、「しっかりとヒモをしばって靴を履こうかな」と思って手持ちの靴を手にとってみたらサイズがやたらデカい! ニューバランス961のブルー、まではよいのだけれどサイズが27.5cm(ちなみにワタシは25.5cm)とデカすぎる。これはボクのじゃない! いったいどこですり替わってしまったのか? かなり焦りました。
とっさに「周りに座っていた人が取り間違えて持っていってしまったのだ」と思い、急いで係の人にお願いをして放送をかけてもらいました。しかし、ほんのちょっと床に置いたこの短時間で果たして靴が入れ替わってしまうものか? 「もしかして...」と思って宿に電話をしてみました。


「宿で靴を間違えた、と言っている人はいませんでしたか?」
「いや、特にいませんでしたよ」
ニューバランスの961という青い靴、サイズは25.5cmのものが靴棚に残ってますか?」
「ちょっと待って下さいね..あ、ありますよ」
「それじゃあ、まだ宿に残っている人は何人くらいいますかね?」
「そうですねえ、60kmに参加する人はまだ寝てますからねえ...」

そこでひらめきました。
どうやら60kmレースに参加する方の靴を宿で間違えて履いてきてしまったようです。宿の方にお願いして靴を持ってきてもらったところ、やはりワタシのものでした。無事交換して事なきを得ましたが、2cmも大きい靴を気付かずに履いて来た自分が恥ずかしかった...
それよりも他の人に迷惑をかけなくてよかった。もし靴が見つからなかったらその場でニューバランスのシューズでも買って走ろうかと覚悟していました。
ほんとレース前って何が起こるかわかりませんね。今後気をつけます...


<スタート→30km>
コースの全容は以下のとおり。

まず西に向かって久美浜湾を周回、45kmくらい走って網野に戻ってくる。そのまま東に向かって市内を通り、丹後ウルトラの最大の難所である碇高原を60〜70kmの間にいっきに400mほど上る。そして70〜80kmの間にいっきに下る。80〜100kmまでは海沿いの国道をひた走る。

昨年までは80kmくらいから回り道をして一山登らされていたらしいが、そのコースが台風被害で走れなくなり今年はカットとなった。ちなみに昨年までそのコースが存在していたときは、丹後ウルトラは100kmぴったりではなく、100.8kmのコースだったらしい。聞いただけで萎える...

スタート開始の午前4時半はまだ真っ暗闇。美しい月を見ながらのスタートとなった。
事前に確認しておいたとおり、すぐに上りが始まる。「七竜峠」を150mほど登っていくのだが、暗いので道路わきの側溝に落ちないよう、数十mおきに灯火が置かれていた。右側のガードレール下は断崖で、明るければきれいに海が見えるのだろうが暗くて無理。明るくなって戻ってきてからのお楽しみとなる。

集団のペースがとても速い! 涼しいせいだろうか、しょっぱなの上りも皆さんガシガシと登っていく。「速すぎないか?」と思いながらも自分も引っ張られる。前回の奥武蔵ウルトラよりはスタート後の調子はいいかんじだ。上りを終えて10km地点へ1時間3分で到達、予定よりかなり速い。今回は鉄人会の仲間もおらず、競争相手もいないので「ゆっくり楽しく走る」つもりなのだが...

その後は平坦な道が続く。右に久美浜湾を眺めながら20km地点に到達。依然快調、2時間5分くらいで通過。明け方の空と海、ランナーの姿が美しくて写真を撮ろうかと思ったが、とっても快調なので立ち止まるのも惜しく、何度も振り返りながら景色を目に焼き付ける。

この大会は左側走行遵守が徹底されており、信号ごとにしっかりと係の方がついていてしっかりと止まる(止められる)。ランナーのマナーもよく、皆さんちゃんと左側走行を守っていた(まだ体力があったせいかもしれないが)のが印象深い。

途中、60kmコースのスタート地点を通り過ぎて平坦なコースを更にひた走り、30km地点の大きなエイドへ。ここでは丹後ウルトラ名物、マッサージ by Phitenショップの1つ目(全部で3つ)があり、初体験なので嬉しくて早速マッサージをしてもらう。地元の中学生が一生懸命にふくらはぎと太もものマッサージをしてくれる。
「マッサージうまいね」
「マジすか!」
「もしかしてマッサージ部?」
「いや、サッカー部です...」と、おバカな会話をしている間にも、別の生徒さんが氷の入ったSAVASを持ってきてくれる。美味しくて思わず続けて3杯も飲んでしまった。勧められると断りきれず、お腹ガボガボになりながらも飲んだ。
なによりも嬉しいのが、このエイドは出発する時に名前を呼んでエールを送ってくれるのだ。
背中のゼッケン番号から名前をチェックして、学生さんが大声で応援してくれるのだ。
「ガンバレ、ガンバレ、○○!」(一人)
「ガンバレ、ガンバレ、○○!」(数人が唱和)
というかんじ。ランナーはみんな帽子をとって振ったり、大きく手を挙げてコースに戻っていく。ワタシも振り返って両手を振った。大きな元気をもらえるエイドだ。気持ちよく次のエイドを目指す。エイドを出たのがたしか3時間10分ほど。


<30km→50km>
久美浜湾を周回し終わると、行きに走ってきたコースに戻る。そこからスタート地点に向かい、また七竜峠を上っていく。どうにも体調がよく、みんなが歩いている登りをまったく歩かずに良いペースでガシガシと登ってしまう。しかしみんな下り坂をとばしてすぐ追いついてくる。それをまた次の登りで引き離す。
誰もが歩いて登っているのを見ると、「無理して走って登ると、やはり後にダメージが出るのか」と少し不安になるが、行けるかぎりはこのまま行きたい、という気持ちが勝る。結局、峠のピークにある39.3kmのエイドまでいっきに駆け上がった。
下り途中にある40km地点の通過が4時間12分! 自分でも驚くほど速い。「このままじゃ10時間台でいけるかも」と早くも皮算用を始めるが、そんなにコトがうまく進むほどラクな天候とコースではなかった。

網野の町に戻ってきて昨晩の宿泊先前を通り過ぎ、アミティ丹後付近をそのまま突っ切って50km地点に向かう。天気は快晴、かなり暑くなってきた。
やはりウルトラマラソンはそんなに甘くない! ここらへんから急激に苦しくなってきた。早くも登りを走った後遺症が出たか、それかもともと力も無いのにハイスピードでかっとばし過ぎたか。今までのペースを維持するのが厳しくなってくる。「こんなところでもうガス欠かい...」エイドで止まるたびに大量の冷たいSAVASと水を飲み、頭からひしゃくで水を浴びて全身びしょ濡れになりながら走る。8月の練習会で熱中症になったことが忘れられず、思わず水分を多めにとってしまう。お腹も空いてきたが、エイドの食べ物はチョコ(「きのこの山」と「たけのこの里」)がメインで、オニギリが見当たらない。バナナを補充するが全然満たされない。今までのウルトラではお腹が減る、などという経験はほとんどなかったのだが...どうしたことか。

急激に重くなる足をなんとか動かしながら50km地点のある「丹後あじわいの郷」にたどりつくが、園内に入るまでがダラダラの登り。ここまでまったく歩かずに来たが、とうとう歩いてしまう、悔しいが仕方がない。エイドステーションではテント内の日陰でパイプ椅子にガックリと座り込んでしまう、やばい。またもや冷たい飲み物を数杯飲んでしまう。かなり暑い。5分近く動けず、やっと腰を上げて50km地点を通過、5時間25分。10km63分のペースがここにきて乱れ始めた。まあ、仕方がない。それよりもこれからまだあと50kmも走らなければいけないのだ。このコース最大の難所、碇高原をまだ残したままで。


<50km→70km>
走り始めてまたすぐにアクシデントが襲う。疲労しておかしなフォームで走ったせいなのか、首の右側がつってしまい激痛が走る。首が動かなくなる。なんとかスジを伸ばして、つった状態を解消しようとするが、長い時間、張りが残る。痛みで気が散って集中力が更に失われる。

かなり前後がバラけてきて、ランナーの姿が見えなくなる。前を走る人が携帯で話しているのが聞こえる。「え、オマエもう歩いてるの? オレ、とりあえず60kmまでは歩かないつもりで走るわぁ」。そのセリフに後押しされて、ワタシももう少しだけ頑張ろうと思う。が、首が痛いし、冷たいものの飲みすぎなのか右のわき腹あたりまでが痛くなってくる。参った、首痛と腹痛のダブルパンチだ。まだ膝や足首など関節系が痛まないのが救いなのかもしれないが、これはこれでキツイ。

とぼとぼ走っていると不意に声をかけられた。
ゼオンの方ですか?」
「そうですが」
「ボクは日本冶金の者なんですよ」
「おお、うちの工場のすぐ近所じゃないですか」
「御社のMさん(ゼオン鉄人会の総元締め)ってご存知ですか?」
「よく知ってますよ! ボクはMさんのおかげでマラソンを始めたんですから」

と、話してみるとこのKさんはウチのチームのMさんとお知り合い。毎朝の通勤ランで何度か顔を合わせるうちに知り合ったとのこと。あまりの奇遇に驚く。といってもウルトラの世界はそんなに広くないから驚くほどのことではないのかもしれない。
少し併走させてもらうが、こちらは首と腹が痛い。お互いに自分のペースを守りながらつかず離れず走っていく。

55.9kmの大きなエイドでやっとにぎりメシを見つけてほおばる。ここにはビニールプールが設置されており、ランナーが靴ごとドップリと漬かっている。これだけ暑くなってくると、そうでもしないと耐えられない。気温は25℃ではきかないだろう。木陰の無い街中を走っていると、照り返しも加わって体感温度はもっと上がっているはずだ。このエイドで、昨晩同部屋だった人に会う。彼は初めてのウルトラマラソンだが今のところ快調!とのこと。たしかにまだまだいけそうな様子。こちらはすでに予想外のガス欠なのだが。

60km地点までの果てしない道のりをとぼとぼと走るが、脇腹が痛く、途中何度も歩いてしまう、情けない。冷たいものの飲みすぎなのだろうが、ノドが渇くのだから仕方がない。熱中症と腹痛なら迷わず後者を選ぶ。

「碇高原方面」という標識が出てコースを右折する。その先の角に係の方が立っており、「次はここを左折です」と大きなジェスチャーを交えて教えてくれるのだが、そこの交差点の標識には、右方面に「京都・大阪」と書いてある。思わず「大阪は右ですか?」と聞いてしまう。「(コースは)左だよ、左」と応援のおばあさんから言われてしまう、わかってますよ、聞いただけですから。

いよいよ名にし負う「碇高原」の登りが始まったようだ。平らなところはなんとか走るが、少し登るとすぐ歩いてしまう。2時間前とは似ても似つかぬ別人となってしまった。
景色はすっかり山間の田舎道。まわりは畑と田んぼで人家は数えるほど。更に暑くなってきたようだ。と思ったら道路上にある温度計が「30℃」を表示している!「マジすか!」と無人の道で一人叫んでみる。
コース途中にあるトンネルに入ると涼しくとてもほっとする。「出たくないですね」と前を歩くランナーに言われて思わず力強くうなづく。
今まで自分は「暑さに強い!」と思っていたが、8月初旬の「奥武蔵ウルトラ」、そして8月下旬の練習会、どちらも暑さにやられた。炎天下でふつうにしているのと、何時間も走り続けるのではさすがに違う、ということを今あらためて思い知らされる。「いったいボクらは何を好んでこの炎天下にこんなことを...」あまりの暑さに気持ちが滅入ってくる。キツイ。

なんとか60km地点手前のエイドに到着。相当バテている。一つ前のエイドでは、テントの日陰で大の字に倒れてしまった。数分を費やす。暑さだけでなく、寝不足、練習不足、栄養不足、とすべての要素の調整不足が原因であろう。
エイドで聞いたところ、碇高原の登り始めはもう少し先から始まっており、いっきに登らされるらしい。今までの登りはなんだったのだろうか。「心臓破りの坂ですよ!」と言われても、「もうとっくに破れてますわ」と力なく応えるしかない。
そこからの登りは全部歩いた。ところどころ平坦の個所を数十m走っては歩き、を繰り返す。65km地点を通過してからの登りが本当にきつかった。


<70km→ゴール>
しかし奇跡は起きた。70km地点まで登りきったあたりから足がまた動き始めたのだ。ウルトラマラソンではよくある途中復活である。1レースの中でも調子の良い時間帯と悪い時間帯が交互にやってくる。長いレースだけに、苦しい時間帯をなんとかしのげば、どこかで調子が復活することがある。第二エンジンの点火を我慢強く待った甲斐があった。
急にペースアップして前行くランナーを抜いていく。73.3km地点の「碇高原総合牧場」エイドに到達。大きなエイドで、またPhitenのマッサージをしてもらう。食べられるだけの食べ物を急いで口に放り込む。長居は無用、そこからまたいい調子で飛び出した。今度は10km弱でいっきに400mを下るのだ。

急な下りを快調にかっ飛ばす。ワタシは下りもそれなりに速い、と思っているのだが長いレースの下り全部でかっ飛ばすとヒザにきてしまう。いつも下りのギアは最後にとっておくのだが、こここそがそれの使いどころ! と確信してとばした。しかし上には上がいるもので、ワタシが前のランナーを抜くそばからいっきにワタシごと抜いて、下りをかっとんでいくランナーが2人もいた。ワタシもムキになってしばらくの間、彼らを追っかけて競り合う。しかしスピードが違いすぎた。ヒザに来るし、息があがる。予想以上に下りは長い。無理して追うのを諦めた頃には、せっかく復活したスタミナを浪費してしまった...なんてこった!

80km地点手前で下り終了。国道沿いをゴール方向に向かって走り始める。80km地点の通過タイムは覚えていないが、9時間半くらいだったと思う。この時点では「まだ12時間以内にゴールできるかもしれない」と思っていた。しかしこの国道が微妙にダラダラと登っており、後ろからくる車も飛ばしていて結構コワい、一言でいうと走りづらい。
せっかく復活したのに下りを飛ばしすぎてまたバテてしまった。アホである。もう第三エンジン点火は期待できない。ゴールまで20km、このペースでしのぎきるしかない。
登りは歩き、平坦なところはなんとか歩かない程度に走る。85km地点付近で、一時ルートが分かれていた60kmコースのランナーたちといっしょになる。右側に見える海がきれいだ。屏風岩、丹後の松島、と名所らしきものが続くが見る気力はほとんどない。とにかく苦しい。エイドが約3kmごと、と結構短い区間ごとにあるのが救いであった。「とりあえず次のエイドまで行こう」という気力だけで走る。エイドにフラフラと立ち寄り、頭と両手、両足にたっぷりと氷水をかける。係の方々が一生懸命応援してくれる。
87.9km地点の大きなエイドに、またPhitenのマッサージがあったが3箇所めは立ち寄らなかった。まだ12時間を切れる可能性があったので、気力を振り絞ってエイドを出る。
90km地点通過がたしか10時間50分。「あと70分で10kmかぁ」と、半ば諦めムードになった記憶がある。調子がよければ70分は切れるが、バテバテ状態でラスト10kmを60分台で走るのは無理だ。ここまでの10kmでさえ80分くらいかかったのだから。
90km地点を過ぎてから次の標識である92.5kmがまだ出てこない。20分くらい走った気がするがどうしたことだろう、と一人で気をもみながら走る。カーブを曲がるたびに「次は見えるだろう」と思うのだが、何故か見えない。いつも思うことだが、自分が考えている1kmと、大会で設定されている1kmは、そもそも長さが違うのではないだろうか? 道のりではなく距離で1kmなのだろうか? と要らぬこと考える。
やっと92.5km地点を通過してすぐに入ったエイドにもう93.5km(くらい)の表示があった。明らかに1kmも走ってない。この辺に来るともう距離表示もあいまいになってくるのだろう。あとでもっとひどい表示があったのだが...それでも富士五湖よりは、丹後のほうが距離表示はまだマシな気はした。
94.8kmの小学校内エイドの手前がながーい坂である。「最後にこんなのがあるのかね」と萎えながらも気力で登る。エイドを出てもまた坂。最後の最後でまだ体力を削る手の込んだコースだ。
やっとの思いで95km地点を通過。最後の5kmなので立ち止まって記念に写真を撮る。ここまで長いこと歩きと走りを繰り返してきたが、最後の5kmくらいは走りきろう!と思う。

96.5km地点の最後のエイドに入る。結構立ち寄らずに走りすぎる人もいる。
「何飲みますかぁ?」
「ビール」
「ゴールしてからにして下さい!」
と笑いながら言われる。あと3.5km。もうなんとかなるところまで来た。ラストのエイドということで、長旅の終わりを実感する。へばって走っている最中は「もう今すぐゴールして終わりにしたい!」と思うが、実際ゴール直前になると「もうちょっと走りたいかな」という気持ちが湧いてくる。不思議なものだ。

石のように固まった太ももを何度も叩きながら最後のエイドを出る。「あと3.5km、頑張って下さい!」という声援に押される。
しかししかし、なんと数百mいったところにしっかりとカウントダウン標識があった。そこには「ゴールまであと4km」。目を疑った、おいおい。
たぶんこちらの表示の方が正しいのだろう。さっきのエイドにいる人たちはこの標識のことを知らないのだろうか。ある意味、罪深い人たち。

仕方なく頭のメーターを「あと4km」にリセットして力なく走り出す。前も後ろもランナーはいない。
あと3km、町が見えてくる。ゴールはあのあたりだろうか。
あと2km。残り15分以内でゴールできるだろう。ここから足が急に動くようになってきた。まるで短距離選手のようなスピードでラストスパートに入る。遅まきながら第三エンジンに点火したらしい。
あと1km。琴引浜の入り口にある駄菓子屋には見覚えがあった。たしか3年前の夏にバイクで立ち寄ってジュースを買った。店員は女子高生くらいのアルバイトだった記憶がある。懐かしい、と思うが、スピードにのってかっ飛ばしているのですぐ通り過ぎる。
荷物を預けた体育館が見えてくる。スタート前に靴の間違いに気付いたところだ。ますますスピードがあがる。抜き去ったランナーから「ラストスパートですか!」と言われる。沿道からも「速すぎるよ!」と声がかかる。「スタミナ余ってるんですよ」と応える余裕がある。
ゴール付近から一人一人の名前をコールするアナウンサーのキンキン声が聞こえてくる。アミティ丹後の敷地を反時計周りに回ってゴールに向かう。ゴール直前で更に一人かわしてゲートに飛び込んだ。長い旅のゴールだ! 生きて帰ってきたぜぃ!!


ボランティアの中学生くらいの男子が駆け寄ってきて、ワタシの首にメダルをかけてくれた。緑色のきれいなメダル、結構重い。そして記録証が手渡される。


12:12:49 102位。


富士五湖の記録更新ならず、12時間も切れなかった。
前半を5時間25分で走ったのに、後半に約7時間もかかってしまった。
しかし達成感はある。この炎天下をなんとかゴールまで無事たどり着いたのだ。それだけでも十分価値はあろう。


ベンチにひっくり返って青い空を眺めていたら声をかけられた。日本冶金のKさんだ。聞けばKさんはワタシと別れた後、60km付近でダウン、リタイアを余儀なくされたらしい。それだけでなく搬送後に熱中症の症状が悪化して、病院で点滴を打たれたらしい。「今はもう大丈夫ですけどね」とのこと。Kさんは、ランナーズウェルネスが主催する今年のウルトラ3レースのうち、富士五湖117km、野辺山100kmを完走しており、この丹後を完走すれば事務局から表彰状がもらえるはずであったが不幸なアクシデントで残念な結果となった。Kさんほどの実力者でもそんなことにみまわれるとは。

その後、今夜の宿を提供してくれる福知山在住のFさんと合流した。彼はボクのゴールを見ていてくれたらしい。
荷物の引き取りに体育館に向かうと同部屋の人と会った。12時間ちょうどくらいでゴールしたらしい。初ウルトラでしかもこのコースで十分立派な記録だ。もう一人の人がまだゴールしていないようなので、着替えてからFさんとゴールでしばらく待ってみたが来ない。最後に挨拶をしたかったのだが残念だ。彼はこの丹後ウルトラの後、1週間後の村岡ウルトラに出走する、というから並み大抵ではない。というか信じられない。またどこかのウルトラでお会いすることだろう。

Fさんの車で福知山に向けて出発する。ゴール直後は「キツイだけの大会だったな」と思っていたが、徐々に達成感がこみ上げてくる。そして「また来てもいいかも」と思い始めた。少し後ろ髪をひかれるような気持ちでまだにぎやかな会場を後にした。

<振り返ってみて>
後で知ったことだが、100km男子出走者600名強のうち、完走したのは292人。実に完走率は50%を割っていた...
それだけでも今年のレースがいかに過酷な条件下であったことがわかる。

もともとこのコースは景色にとても期待して出走を決めた。しかし結論から言うとそれほど景色は楽しめない。
暗いうちに海沿いを走り、その帰りは山登り。その後はずっと街中、そしてとっても単調な田舎道。きつい山道を登らされたらいっきに下るが、ずっと山中で見通しはよくない。最後の国道、海沿いだが車がこわくて景色を楽しむには至らない。

でも、エイドの方々、沿道の方々は素晴らしかった。気持ちよく対応してくれたし、たくさん応援してくれた。ワタシのゼッケン番号を見て「東京から来たの? 頑張って!」と何人もの方々が声をかけてくれた。それだけでも十分嬉しかった。


「きついだけのコース」と感じたのは、自分の調整不足が一番の原因。
いつかまた、ラクに走れるようにしっかりと鍛錬して戻ってきたい。


なんだかんだいっても「また走ってみようかな」と思える大会であった。
あとからでもそう思わせる何かがあった大会であった。
大会関係者、ならびに沿道で応援して下さった皆様、
本当にどうもありがとうございました。
感謝感謝です!!